2018年11月に燃料費や燃料税の引き上げに抗議を開始、その後マクロン退陣を求める運動に発展したフランスの黄色いベスト運動を、1968年の五月革命に喩える人が多いが、自由・愛・平和をテーマにした若者文化の反乱と異なり、黄色いベスト運動はその日のパンを求めるサン・キュロット(無産階級)や高齢者の運動という点で、むしろフランス革命に近い性格に思える。
大労組や左翼のメランションの「不服従のフランス」とも連携していない運動だったが、最近労働組合と合流し始め、いよいよ革命的形相を帯び始めた。もっとも、フランス社会全体はまだ革命的風景になっているわけでなく、黄色いベストを「黄色いペスト」と呼んで小躍りする私は「あんまりはしゃいで、糠喜びするな」とからかわれることがある。
しかし、どんどん右傾化する世界状況の中で、嬉しい出来事ではある。 - 脇浜義明
黄色と赤
リチャード・グリーマン(1939年ニューヨーク生まれの国際的に多岐にわたって活動するマルクス主義者)
出典:ZCommunication Daily Commentary, 2019年2月12日
2月5日、マクロン政府が提案する厳しいデモ規制法案(デモはフランス国憲法でも国連人権宣言でも認められている正当な人民の権利であるにもかかわらず)が議会を通過しているとき、黄色いベスト運動に労働組合が初めて加わり、全日ゼネストが敢行された。下院が大衆デモを規制する法案に投票しているとき、フランス全土で数十万人の人々が街頭で反対行動、専制主義的・ネオリベラル的マクロン政権打倒を叫んだ。デモする人々の要求は、賃上げ、退職手当改善、公共サービスの復活、税法の公正化、警察暴力の廃止、デモ隊に対するフラクション・ボール(訳注1:全長33センチ、口径4ミリの上下連発銃で、硬質ゴム弾を装填する。これを受けて眼球が砕けて失明した人がいる)利用の禁止、マクロン退陣、そして参加型民主主義の実現など、多岐にわたっている。
マクロンは国民の正当な怒りの声には耳を傾けず、怒りや抗議に政府として対応するどころか、国民の表現の自由を抑圧する反動的立法の道を選んだ。99%の自然発生的な社会運動をまるでテロリストかファシストの策動のように扱い、それを弾圧する法律を作るようでは、国家の危機、それも大部分は自ら招いた危機に対処できない、無能な政権と判断されても仕方がない。そんな不人気な大統領が発動するデモ規制法案だから、国民の大反発を受けるのは当然である。とりわけフランス人は自由に関してはうるさく、マクロンの君主然とした傲慢さを見て、先輩人民がルイ14世に対して下した処置を思い出した。
そのうえ、去年11月以来マクロンの脇腹に刺さった棘である黄色いベスト運動が、今や、2017年の春に自分の配下に組み入れたと思っていた(訳注2:極右マリーヌ・ル・ペンとの大統領決選投票のとき労組やリベラルの支持でマクロンが勝った)労働組合といっしょにデモをするようになったのだ。どちらかというとあまり仲が良くなかった両者の結合は、CGT(フランス労働総同盟)とソリデール(連帯労組連合)の1日ゼネスト呼びかけから生まれた。以前CGTは黄色いベスト運動に反感を持っていたにもかかわらず、また黄色いベスト運動が既成政党や労働組合が具現する「代表制度」に不信感を抱いていた(労働組合に関しては、組合が黄色いベスト運動に介入すると、組合が運動を吸収して、組合が人民の名を盗用して語り、結局は運動自体を売り渡してしまうという、長年の経験から当然と思える不信感を黄色いベスト運動の中にあった)にもかかわらず、CGTとソリデールが初めて「その気があったら参加してくれ」と黄色いベスト運動に呼びかけ、かなりの数の黄色いベスト活動家が参加したのだ。
共同行動日
両者の初デートである全日ストは、双方が驚いたことに、うまくいった。もしこの一時的な赤と黄色の連携が固まったら(その徴候は見える)、おそらくフランスは統治不可能となり、支配階級は窮地に陥るだろう。フランス人民が大革命の歴史的経験があるので、再び新しい政治体制を考え出す創意を発揮する機会が訪れるかもしれない。しかし、将来のことはさておき、今は、その将来に歴史的な日として記念されることになるかもしれない一日ゼネストのことを詳しく見てみよう。
ストが始まったのは真夜中きっかり。パリ近郊で200~300人の荒れ模様のデモ群衆が巨大な農産物公設ランジス市場(かつて「パリのお腹」と呼ばれた青空市場レ・アールを潰して作られた市場)をブロックし、食糧のパリ流入を止めて、トラックの長い行列をパリの外で立ち往生させた。CGTの赤旗と黄色いベストが共闘している有様が『ル・パリジャン』のオンライン映像で見られる。各所でバリケードが作られた。夜明け前,ナントにある空港や大学、ヨーロッパ航空産業の拠点である工業都市トゥールーズへ続く高速道路の料金所の前を、バリケードで封鎖した。グルノーブルでは午前中いっぱい交通混乱が続いた。
全体として見ると、少なくとも160地域でデモがあった。それぞれ規模も行動も異なり、たいていその場その時に群衆が思いついて行動したものであった。ル・アーヴルやルーアンの港町やカーンのデモがかなり大きかった。ストラスブールでは約1500人規模、リヨンでは黄色いベスト500人を含む5000人規模のデモであった。マルセーユでは黄色いベストとCGTが株式取引市場で合流した。これは、黄色いベストが攻撃対象を政府から金融資本に切り替えたことを表している。
パリでは、たいていデモ隊はバスティーユからナスィヨンへ続く繁華街を通るものだが、今回はCGDデモ隊は、黄色いベストが12週間にわたって攻撃してきたセーヌ川右岸の高級地区へ向かい、豪奢な商店が並ぶリヴォリ通りを意気揚々と行進した。大きな交差点で即席集会をやって、交通を遮断し、警官を狼狽させた。
私が参加したモンペリエでも、他と同じように、多くの人が参加したが、前の土曜日の黄色いベストのデモほどは大きくなかった―これはフランス全土で同じだった。2・5ゼネスト・デモは主として労組主催の動員デモであった。この数週間平和的なデモに催涙ガスを浴びせてきた警察官の姿は、どういうわけか、この日は疎らであった。面白いのは、一人の憲兵(gendartme)が黄色いベスト活動家たちに、憲兵隊は黄色いベストに反対しているわけではないし、自分の家族は黄色いベスト運動を支持している、自分たち憲兵は命令遵守の誓約をしているので上の命令で出動しているだけだ、と説明している場面が映像で流されたことだ。(その映像はhttp://francais.rt.com/france/58841で見られる)
私がモンペリエの集会地点に着いたとき、CGTのスピーカーから長たらしく退屈な演説―ユーロに関するややこしい話―が大音響で流れていた。これでは参加者相互の交流どころか、普通の会話さえできないと思った。CGT労組員の中には黄色い服を着て、その上にCGT組合員の標章を付けた人がかなりの数いた。この二重アイデンティティ表示現象は、共通の敵と経済的目的を持つ労働者階級の二つの運動が自然に結合していく傾向を強く示唆している。黄色を着用した赤いCGT活動家と同じように、黄色いベストも労組と共通するスローガンを掲げた。彼らのスローガンは、「月の終わりと世界の終わりの阻止は同じ闘いだ」(訳注3:マクロンはCOP21を主催、気候変動危機による「世界の終わり」の救世主を演出したが、黄色いベストは月末を越せない貧乏人の窮状を訴える「月の終わり」を対峙した。しかし、黄色いベストは気候変動危機と自分たちの生活の危機は同一の元凶から発していると見做している)、「マクロンは辞任せよ」、「資本主義打倒」、そしてあの有名な「人民の人民による人民のための政治」(まさか米国人が言った言葉とは知らないで)などであった。
デモ隊の先頭、CGTの横断幕の後ろに、200人程の黄色いベストが自分たちの横断幕を掲げて、大声を合唱しなら後進していた。私は黄色いベストの数が少ないのにがっかりした。集会の後、CGTの組合唄が大音響で流れる中、私と仲間女性二人でCGT組合員と交流しようと呼びかけたにもかかわらず、多くの黄色いベストが帰ってしまったのも残念であった。そのうえ、黄色いベストはオープンマイク集会(自由参加・自由発言集会)を企画していたのに、それも流れてしまった。残念がる私を、仲間の活動家が、とにかく第一歩を踏み出したのだ、こういう実践の繰り返しの中から変革が生まれるのだ、必ず人民連帯・結束は生まれるよ、と慰めてくれた。
黄色いベストとは何か?
2018年11月17日以来、大衆的・自立的・全国的黄色いベスト運動が、毎日交差点でデモをやったり、毎週あちらこちらの市でデモをやって、ネオ・リベラルのマクロン政権に圧力をかけ続けている。黄色いベスト運動を構成しているのはマクロンのネオ・リベラル政策で生活苦に陥ったごく一般的な低中流階層フランス人で、ほとんどが地方人。日々の生活の収支を合わせるのに苦労し、上流階級のフランス人から軽視され、屈辱を受ける生活に我慢できなくなった「普通の人々」である。
昨年11月のことだ。これら普通の人々がテレビのスイッチを切って家を出て、交差点やハイウエイの料金所に集まって、知らない者同士が話し合って親しくなり、ついにはソーセージ・バーベキューをやっていっそう親睦を深め、その中でそれぞれ社会に対する無力感や疎外感を克服していった。社会的エンパワーメントをつけていったのである。彼らの村や町から郵便局やパン屋やカフェなどを奪い、毎日の通勤自動車で無意味な2時間の無駄遣いを強いる自動車文明が作り上げた「交差点」や「料金所」などの「人でなし空間」を、彼らは「人のいる場所」にしたのである。
黄色いベストはフランス人を代表している―もちろん、上位2~3%のフランス人を除いて。ただ、残念なことに、フランス社会底辺で二重の抑圧に苦しんでいる被差別移民10%も除かれている。人が嫌がる汚い仕事にしかありつけず、政府や自治体の職員には滅多になることがない人々、2005年にその若者たちが「郊外暴動」でサルコジ政府に一泡吹かせたアラブ人、ベルベル人、アフリカ黒人、その他の移民たちである。(訳注4:「郊外」を表すフランス語「バンリュー」は「危険地帯」を表す差別語でもある。貧しい移民や農村からの移住者が密集した、劣悪な住宅環境地区である。酷い住宅行政や労働環境や差別に対する怒りで、若者たちがよく暴動を起こした。1980年代あたりから「郊外」=「移民」=「若者」=「暴動」という公式がメディアを通じて言説化し、2005年には大規模な暴動が発生した。警官の尋問から逃走した移民若者が死亡したことがきっかけとなって、若者による「都市暴動」が1カ月間続いた)部分的には私の勧めもあって、モンペリエ黄色いベストは移民コミュニティへの働きかけを始めている。
黄色いベスト運動は多種多様な社会層の人々から構成されているので、内部では政治的相違や支持政党相違などを問題にせず、無意味な政治的議論も避け、もっぱら人々を結びつけている闘争に集中している。各人は各人のことをしゃべる(しゃべる順番も男女同等性を維持するために相互交代)。毎土曜日にデモと集会を続ける過程で、次第に闘争目標や戦術が磨かれていった。自立性を維持しつつ、より広範でより効率的組織化を開発していった。2カ月以上のデモ闘争を経て、1月25~27日に、75地域の黄色いベスト集団(Assemblies)の代表がコメルシー(ロレーヌ地域圏)に集まって、諸グループのグループ化と言える大会(Assembly of Assemblies)を開き、民主主義・平等・反人種差別宣言(内容は巻末付属文で)を採択、それはたちまち全国的コンセンサスとなった。こうして今や共通目標をもつ機能する連合体が成長してきたのだ。
特筆すべきことは、政府の警官を使った弾圧―負傷者数千人(重傷者もいる)、死者数人、逮捕者千人、平和的デモ・グループに対しても催涙弾を使用―にもかかわらず、黄色いベストのデモが毎週続いたことだ。政府やメディアからファシストとかテロリストとか「ヘイト(マクロンに対する)暴徒」と絶えずけなされながらも、運動は継続した。驚くべきことに、最新世論調査では、フランス人の77%が自分たちがデモに動員されることを「正当だ」と考えているのである。(1月の世論調査では74%だったから、黄色いベスト支持は上昇しているのだ)
最も特筆に値することは、彼らがマクロンから譲歩を引き出したことだ。無法な暴徒には絶対負けないぞと豪語していたマクロンは、運動が反対していた軽油課税案を撤回し、最低賃金引上げと退職手当への課税引き下げを約束した。(よく調べてみると、この二つの約束は単なる見せかけにすぎないことが判明した)
指導部もなく交渉も拒否する自立・自発的グループがそういう成果を勝ち取ったことは、CGT、とりわけフランス共産党系のCGT指導者をひどく狼狽させた。CGTは、昨春数ヵ月かけて断続的ストを行って抵抗したけれども、フランスの労働者階級が過去の闘争で勝ち取ってきた諸成果を奪い取るマクロンのネオ・リベラル「改革」を阻止することができなかった。
昨年9月、ストで敗北した労働者はすごすご職場へ戻っていったが、心の中では怒りが燻っていた。一方、マクロンのネオ・リベラル攻勢は続いていた。それに対する抵抗不在状況から、黄色いベスト運動が自然発生的に生まれた。彼らの直接行動による闘いはたちまち全国に広まった。組合指導部に失望感を抱く組合員労働者もかなり多くが当初から黄色いベスト運動に参加していた。運動はフェイスブックなどを通じて形成され、交差点や駐車場などを落ち合い場所となり、烏合の衆を越えた自立的社会運動へと発展していった。まず自分のため、それから自分以外のワーキングプア、失業者、シングル・マザー、退職者のために立ち上がったのだ。大衆的市民的不服従運動が自然発生的に形成され、貧者から金持ちへ財の移転をするマクロンの経済政策(マクロンは、金持ちが豊かになれば富が貧者にも「トリクルダウン」するという屁理屈で政策を正当化する)への反対運動を見事に実現した。
CGT(フランス労働総同盟)
黄色いベスト運動出現に対するCGTと笑顔のない口髭容貌の指導者マルティネスの最初の反応は、猜疑心(プチブルのファシズム運動ではないのか?)と敵意であった。マルティネス等組合官僚は黄色いベスト運動を競争相手として見るしかできず、だからマクロンが圧力に屈して若干の「譲歩」をしてからは、労働者を公式に代表する自分たちのヘゲモニーを脅かすものと見た。
黄色いベストのデモ第三週目の土曜日デモに対する警察隊の乱暴な弾圧ニュースにびっくりし、マクロンの国民に冷静を求める声明に対応して、12月6日にソリデールを除くCGT等の労働組合連合の指導者たちはある連帯声明に署名した―負傷したり逮捕された黄色いベストの人々との連帯でなく、「平和的共和国秩序」の代表を自称するマクロン政権との連帯であった。これには「裏切り行為」だとする非難の声が多く上がった。それに対して組合幹部級のプロ交渉集団は、マクロンの「社会的対話を始めよう」という呼びかけ―要するに、労働組合官僚に大統領と同席して話し合う特権を与え、労働者の既得権返還の話し合いをすることなのだが―を受け入れ、交渉する姿勢で対応した。
しかし、組合指導部のネオ・リベラル旗への忠誠の誓いは、下部組合員の大反発を招いた。そうすると、たちまち幹部連中は風見鶏のようにくるりと回転し、急に戦闘的姿勢を表明、12月14日の金曜日に全国的労働者デモを行おう(合法的に)と呼びかけた。デモが掲げる要求項目は黄色いベストの掲げる基本的経済要求項目とまったく同じであった。しかし、これは一般労働者の生活から発した要求に基づくデモというより、労働組合指導部の力のデモンストレーション、いわばPRであった。それも土曜日でなく、金曜日にしたのである―黄色いベストのシングル。マザーやシングル・ファーザー、小規模工場の労働者やオフィスワーカー、小商店主などは、組合から動員費の形で給料を保障された平日抗議デモが出来ないので、土曜日にデモをやっている。この12・14金曜日デモは、土曜日の黄色いベストのデモに比べれば、影が薄かった。組合幹部の策略は失敗だった。
それから2カ月後の2月5日(火曜日)に、CGTは1日ゼネストを指令した。これも去年の12・14労働者デモの再演のようなものであったが、広範な人民を組合が「結集」している見せかけを作る必要から、マルティネスは「その気があれば参加してよい」(スト前日に彼が言った言葉)と、黄色いベストが参加する隙間を開いた。翌日になると彼は再び態度を変え、今度は結集・団結を強調する、少し分別のある発言をした。
「2カ月以上にわたって人々は話し合って共通の要求を打ち出さなければならないと言ってきた。そしてそれを打ち出した。我々が肩を並べたり前後し合ったりして一緒に行進してはいけない理由はない。大切なことは、この初めての共同行動の日を成功させることである。何故なら、これまで(黄色いベストは-筆者)この国の実質的ボスどもを見逃してきたが、我々と結合することによって本当のボスどもをやつけることになるからだ。」
ビッグ・ボスを攻撃する必要があるというマルティネスの発言は適切で、的を得たものである。黄色いベスト運動は異種多様な広範な社会層が成り立っているので、日々の生活のやりくりという共通問題である消費者問題―物価高、不公平税制、社会サービスの低下等々―が中心となり、怒りの矛先が政府、メディア、議員に向かった。もちろん彼らのプラカードには「資本主義」非難もあったが、運動全般としては大企業や金融機関を直接攻撃するムードはなかった。マクロン政治は大企業や金融機関の利益のための政治なのだが。その意味で、組織労働者との結合によって、この広範な大衆運動が―例えば1968年の職場や公共空間の占拠を伴った無期限ゼネストのようなものを通じて―社会変革を成し遂げる可能性がある。
運動の第二章の開始か?
さらに私たちを励ましたのは、2・5ゼネストを共同主催した労組連合「ソリデール」のセシル・ゴンダール=ラレンの発言である。彼が代表する南部ソリデール(Sud-Solidaires)は最初から黄色いベスト運動を支持していた。「今日のストがうまくいけば、我々は共同運動構築を向けて本気で努力しなければならない」と言ったのだ。黄色と赤の結合が発展すれば、それは現代史上最大の革命的勢力となるだろう。
地方の一般人という多様な人々から成る黄色は、すでにフランス国民の大多数からの支持を獲得している。政府を13週間にわたって追い込み、しかもまだ勢いは弱まっていない。組織労働者を意味する赤は、ストを通じてフランスの主要産業、交通、エネルギー、公共サービスを止める力を持っている。実際、彼らは1936年と1968年にそれをやった。
黄色と赤が結合すれば体制変革の力を発揮できる。黄色いベスト運動の中に体制変革というビジョンを持っている者が多くいることは明らかである。
しかし、マルティネスや組合官僚の頭の中には体制変革というアジェンダはない。彼らの社会的地位は、国会議員の社会的地位と同じで、現体制内で組合員や選挙区民という地盤の公式代表という役割に依拠している。それ故、下からの圧力が強くなると、彼らは2・5ゼネストのように、黄色いベストとの「結合」を演出せざるを得なくなる。しかし、それはあくまで対組合員策略戦術であり、労働者代表という公式地位を守るためのものである。黄色いベストが最初労組や政党と距離を置いて自立性にこだわったのは、そういうことを恐れたからだった―たぶん、1968年フランス全土をストライキの嵐がド・ゴールを追い詰めたのに、ストと大衆蜂起を終息させてド・ゴールの息を復活させるうえでCGTが果たした役割を思い出したからであろう。(昨年5月革命とド・ゴールにとっての「ショーンリ」(バカ騒ぎ)の50周年記念がすべてのメディアの特集となった)
黄色と赤の結合は、CGT等の労組全国組織の伝統的なタテ型階層型秩序と自立性を誇る黄色いベスト運動の刷新的水平的自己管理的原則とが対抗し合う文脈の中で形成されている。モンペリエ・デモや2・5ゼネスト・デモで、CGT組合員が黄色い衣服を着て、その上に大きくて赤いCGT記章を着けていたのは、大きな意味を持つ現象である。これら赤と黄色の活動家がCGTの硬直した組織文化の中で公然と自立性を発揮した事実は、赤のカチカチの官僚構造にひびが入って、そこから想像力豊かな自発的運動が出現しつつある徴候である。
結合は、現場の人々の相互理解を通して下からも育っている。調査報道ネット・メディアの『メディアパート』(訳注5:フランス版ウィキリークスと呼ばれているメディア。Médiapart)(このメディアのゼネスト報道は素晴らしい)は、環状交差点などで黄色いチョッキを着て毎土曜日にデモをしてきた「あまり戦闘的でもない」CGT組合員が、「ストもできない労働者がいることが分かった。小さな商店で働き、雇用主との接触が直接的な従業員たちだ。しかし、その人たちも大資本が元凶だということを理解している」と発言したことを伝えている。
ローニューから妻(彼女はこれまでデモをしたことがなかった)といっしょにパリにやってきた若者と仲間の黄色いベストの人たちは、黄色い腕と赤い腕がスクラムを組んだ絵のCGT作成ビラを見せて、「今日からぼくらの運動の第二章が始まるのだ。みんな結合しなければならない!」と語った。
パリ東駅線で勤務する鉄道労働者もローニューから来た黄色いベストの若者と同じ意見である。「GCTは労働者の側に立って資本と闘う伝統のある組合だ。黄色いベストについて一定の立場を取る前に、その運動がどういう考えを発展させるかをじっくり見守る必要があった。実際、現在黄色いベスト運動の主張や要求は我々の関心と同じで、魅力的で、かなり左翼的だ」と判断し、「あの運動は我々と同じイデオロギーに基づいて展開している。彼らは闘争しながら意識を高めているい。これからは手を組んで結合すべきだ」」と語った。
活動の中で自己教育する黄色いベスト
黄色いベストの運動目標は時の経過とともに深化してきた。そのことは、デモの時に各地方グループが掲げる手作りのプラカードに書かれた進歩的要求に表れている。そしてそれが高まって、ついに2018年1月の諸グループのグループ化である大会で採択された宣言という形に結晶した。黄色いベストは緩やかな連合として自らを編成し、選挙で選んだ代表(男女一人ずつ)を大会に送るようになったが、代表の権限は限定的で、いつでもリコールできる仕組みとなっている(これは1871年のパリ・コミューンでも採られた仕組み)。
コメルシー宣言は、「人間の尊厳の実現」、「不平等撤廃」、「公共サービスの無償化」、「大金持ちに課税」し、その資金で給料や年金や退職金を「上昇させる」こと、国民・住民投票を通じてフランスの政治を参加型民主主義に再編することを、目標として設定している。同時に、マクロンやメディアや幾つかの極左グループの黄色いベスト非難に対して、宣言は「私たちは人種差別者でも、性差別者でも、同性愛嫌悪者でもありません。私たちは様々に異なる人間が結集して連帯する場を作り上げたことを誇りにしている者です」と謳い上げた。このラジカルな宣言は拘束力を持つプログラムではないが、一つのコンセンサスを表現しており、各地の黄色いベスト・グループはすぐにそれを方針として採用した。彼らは2カ月後のもっと大きい全国的な諸グループのグループ化の実現を期待していた。
『メディアパート』は記者二人をコメルシーへ送り、数十の地方黄色いベスト・グループとインタビューし、その模様を映像に纏めた。多様なグループが意見を出し合って物事を決定していく過程を詳しく伝えるフィルム―根気強さ、相手に対する敬意、寛大さ、意識的な自己教育という長いプロセスを描いていた。個々人が自分の知識と経験から導き出した真理を語り、それをお互いに突き合わせて、一つのコンセンサスに作り上げていく過程だ(まだコンセンサスとして決定できないことに関しては、棚上げして、機が熟すのを待つ)。
フィルムから感じ取れるのは、信頼と同志的関係とお互いの言うことに真剣に耳を傾ける雰囲気である。さらに映像から感じ取ったのは、これら地方の話法と二人の社会学者の話法の対照性であった。映像に登場する二人の学者はどちらも魅力的で善意の人だったが、長々としゃべるわりには目新しいことは何もなかった。一方黄色いベストの人々は、教育レベルの如何にかかわらず、人前で簡潔に話す術を身に着けていて、中にはそれを雄弁にこなす者もいた。共通の闘いとそこから得た知識を共有し合うことで、「みんなの知恵」(Wisdom of Crowds)(訳注6:学問的には「集合知」とか「集団的知性」と呼ばれている)を発展し活用しているのだ。この「みんなの知恵」は前々から社会学の研究テーマであり、最近は心理学者も研究している。
黄色いベストの人々は冗談好きで、よく笑う。モンペリエの集会では、メンバーの一人が先週の日曜日のグループ集会で「秩序を強いる暴力集団」(警官)に対する呼び名が議題になったことを報告した。彼は侮辱語のリストをあげてみんなを笑わせた。「下司野郎」意味する英語の「コックサッカー」(訳注7:文字通りの意味は「ペニスを舐める者」。これのフランス語「アーンキュレ」は「おかま」という意味)はゲイや女性、いや性そのものを侮辱することになるので、例え憎い下司な警官相手でも使わないようにしょうと言った。みんなゲラゲラ笑ったが、勉強になったと真面目に受け取った。彼は権力の犬を侮辱するが政治的に正しい言葉を幾つか上げ、グループの人たちの賛同を得た。さらに、次の土曜日には覆面をしてデモることにした。これは、マクロン政府の「人民の自由権を殺す」(liberticidal)反デモ法が覆面姿を犯罪と規定しているからである。
揺らぐマクロン政権
マクロンの王侯のような振る舞い、ネオ・リベラル言説を文字通りに実行する硬直姿勢、国民の正当な苦情や批判の表現に対する暴力的抑圧、怒れる「臣民」を見下す侮蔑的態度らのために、彼の支持率は22%を前後している。これは2017年の大統領選挙の第一次投票のときの18%を少し上回るだけである。第二次の決選投票では、対抗相手が極右ファシストのル・ペンへの唯一の対抗馬となったから、大統領になれたのである。黄色いベストが世論調査で77%の支持を得ていることと比較すれば、マクロンの凋落ぶりは明らかである。フランス人は何よりも見下されたり馬鹿扱いされることを嫌う誇りある人々なので、マクロンは国民にとって最悪の敵となった。何しろ彼は、フランス国民は怠け者で「努力することに飽きた」ようだ、と発言したことがある―国民の半数以上がその日のパン代を得ようと汗水垂らして働いているのに。
マクロンの最新の策略は「大討論会」の提案である。これは、黄色いベストが1789年革命のときに出たカイエード・ド・ドレアンス(陳情書)を真似て発布した「抗議ノートブック」に対抗するために考え出したPR用茶番である。マクロンか閣僚の一人が地方の市長たちと話し合う、一連の調整された会談のことである。だいたい市長というのは地域の不動産業者や政治マフィアの道具であることが多いので、ワルとワルの話し合いに民主主義を期待することはできない。それでも、中には真面目で誠意のある市長もいて、テレビ報道された第一回「大討論会」で最初に発言した市長は、マクロンとマクロンの危機への対応の仕方を激しく批判した。それがあってか、現在では市長の発言や質問は事前に文書で通知することになっている。
フランスの有名知識人や思想家は米国に比べるとメディアから丁重に扱われる傾向にあるが、奇妙なことに、彼らの多くは黄色いベスト運動に対して冷淡である。私が間違っていなければ、黄色いベストの側に立って語る知識人は、無政府主義リバタリアン思想家のシエル・オンフレと歴史家で文化人類学者のエマニュエル・トッドの二人だけである。この二人だけが、ヴォルテール、ゾラ、サルトル等の反体制的伝統を引き継いで、21世紀社会で活動している。21世紀社会では、体制に呑み込まれた知識人たちは、コメンテーターやメディアのパーソナリティ、メディア経営者、政治家、労組指導者と並んで、フランス人民が「政治階級」と呼ぶものの中核となっている。
マクロンは外交へ走り、国際問題で一役担うことで国内の難題を回避している。メディアはいつも通り上滑りな報道を続け、「大討論会」を恭しく報道、一方黄色いベストに関してはデモ参加者数、逮捕者数、燃やされた自動車の台数だけを報道。フランスのエリート社会は、怒れる小国民を見ないようにしておればいつか事態が収まると思っているようだ。子猫のように身を縮めているだけなのだ。本当にそのうち事態が収まるのか? それとも、第三幕(13週目のデモ)または運動第二章が何か新しいものをもたらすのだろうか?
付録:黄色いベスト諸グループの初めての合同大会の呼びかけ(宣言)
私たち、環状交差点、駐車場、広場、集会、デモなどで集う黄色いベストの諸グループは、コメルシーの黄色いベストの呼びかけに応えて、2019年1月26~27日に、各グループの代表100人が集まって大会を開きました。
昨年11月17日に、私たちは小さな村や農村地域かを出て大都市へ行き、野蛮で差別的な社会にもう我慢ができなくなって、蜂起しました。その闘いは今も続いています。これ以上社会的エリートに扱き使われるのに耐えられなくなったのです。生活費の高騰、貧乏で不安定な状態に耐えられなくなって、みんなで立ち上がったのです。家族や子どもなど愛する者のために立ち上がり、反乱を起こしています。人間として尊厳のある生活をしたいだけなのです。たった26人富豪の財産が世界人口の半分の人々の財の合計と同じだなんて、無茶苦茶だと思いませんか? 貧困を拡散するのでなく、その富を解放してみんなで共有しましょう。社会的不公正に終止符を打ちましょう。私たちは即時賃上げ、社会的最低賃金の引き上げ、諸手当や年金の増額を要求します。
私たちが毎日のように環状交差点を占拠し、様々な大衆行動やデモを行い、あちらこちらで討論集会を開いているのは、そういう生活上の権利を要求するからです。そのために、これまで発言すらできなかった私たちは、黄色いベストを着て、街頭へ出て、発言を始めたのです。
その私たちに対して政府はどんな対応をしたでしょうか。力で抑え込み、蔑み、中傷したのです。火器を使用して、仲間を手足不具にしたり、盲目にしたり、重傷で苦しませ、心に傷が残るショックを与えたのです。死者も数人出たし、怪我人は数え切れません。恣意的に逮捕され、懲役刑を言い渡された人は1000人を越えます。そのうえ、正当な権利があるデモに対し「破壊防止」法を適用しています。警察であろうと警察が利用する暴力団であろうと、民衆の異議申し立てを暴力で抑え込もうとする狼藉に断固抗議します。私たちはそんなものに屈しません。デモは民衆の基本的人権です。警官の違法暴力を無刑罰にするな !弾圧逮捕の被害者を全員釈放せよ!
いわゆる「大討論会」は何と汚らしい策略であることか―私たち民衆が主体的に討論し、決定したいという正しい要求を逆手に取る操作的プロパガンダです!私たちはグループ内や交差点集会などで実践している本当の民主主義は、テレビ放映されるマクロン政府演出の円卓会議とは質的に異なっています。
マクロンは私たちを侮辱し、くず物扱いした後で、今度は私たちをファシストとか外国人排除主義者などと指弾しています。とんでもないでっち上げです。私たちは人種差別者でも、性差別者でも、同性愛嫌悪者でもありません。私たちは様々に異なる人間が結集して連帯する場を作り上げたことを誇りにしている者です。
私たちは多様な人々による討論を通じて強くなっています。現時点で数百の黄色いベスト・グループが活躍、それぞれの要求を表明しています。例えば、真の民主主義、社会的公正、税制の公正化、労働条件改善、エコロジー尊重の気候政策、差別撤廃などです。最も頻繁に議論される要求と戦略をあげますと、あらゆる形の貧困の撲滅、現行制度や機構の変革(国民・住民が発案する国民・住民投票、住民参加の地域議会、代議士の特権廃止等々)、エコロジー的移行(有毒エネルギーや産業汚染などからの移行)、完全平等と出身民族の如何に関わらずすべての人間の尊重(障害者差別、性差別、郊外スラム地区や地方の差別、DOM-TOM(フランスの海外領)の人への差別をなくすこと)です。
私たちはすべての人々に自分の余裕と能力の範囲内でよいから黄色いベスト運動に参加することを要請しています。継続的活動を呼びかけています。(12回目は警察の暴力に抗議して警察署を対象としましょう。13回目、14回目・・・とそれぞれ新しい課題と目標が出てくるでしょう)交差点占拠とそれによる企業の物資搬入の部外の継続、予定されている2・5ゼネストを成功させましょう。職場、学校、その他でスト委員会を形成し、このストが上から指令で動く受動的動員ストでなく、本当に草の根から形成されるストにしょうと、私たちは呼びかけています。労働官僚ではなく、私たちが主体的に決定し、主体的に行動するストにしましょう。みんな一人でいないで、私たちに加わってください。
自らを民主主義的、自主的、自立的に組織しましょう! このグループがグループ化した大会は私たちの掲げる要求と私たちが採用する行動をより深く討論し合える重大な一歩前進です。社会変革のために連合しましょう!
この呼びかけ文を拡散してください。あなたの黄色いベスト・グループがこの呼びかけ文に同意するなら、どうか署名してコメルシーへ送ってください。二回目のグループのグループ化大会を考えていますので、どうか遠慮しないで意見や提案などを聞かせてください。
マクロン打倒!人民に、人民のための人民による権力を!